あるジャニオタの日記

ジャニーズに人生狂わされた三十路女のひとりごと

ジャニオタ20歳、ブログ始めました

この夏、ジャニオタ20歳を迎えました。

薄れつつある記憶を残しておきたくて、ブログなんぞ書いてみます!

 

ジャニオタ20歳なんて言ってますが、本当はそれ以上なんだと思います。でもオタクであることを認識して20年経ちました。ではなぜそれ以上なのか?それは、保育園の出し物で光GENJIの真似している写真があったから…。保育園時代からジャニーズは好きだったんですね。今では考えられないけど、赤いバンダナ巻いてセンター取ってました。懐かしくて恥ずかしい、封印したい黒歴史です。

 

 

本題に戻ります。

本格的にジャニオタになったのは、高校1年の夏。友人がJr.名鑑Vol.1を見せてくれたのが運命の始まりでした。面白いよって8時だJを勧められ、見始めました。

最初にいいな、と思ったのは同い年のJr.。でもそのJr.が出演するドラマを見ても、いいな以上の感情は無かった。

そんな時、8Jでのヤル気ないキャラのニノに出会いました。

ヤル気なさそうなのに、アクロバットさせればバシッと決まるし、老け顔の割に可愛いし、コメントも秀逸な彼をすぐ好きになりました。

 

今でこそ大都会東京で1人で生きている私だけど、ジャニオタになるまで地元から出るなんて考えられなかったんです。何より人混みが苦手な私は、田舎で一生を過ごすんだろうな〜とぼんやり考えてました。

大袈裟だけど、ジャニーズが、ニノが私を変えたんです。

東京に否定的なイメージしか無かったのに、ニノがいるところだと思うと興味がわきました。コンサートに行ってみたい、ローカル番組も見てみたいと、どんどん東京に進学するように方向転換しちゃってました。本当に不思議。

 

ジャニオタ1年生の私は、まず名鑑を貸してくれた先輩ジャニオタから情報収集開始。同時に8Jを欠かさず視聴し、新聞のテレビ欄をくまなくチェック。Mステやアイドルオンステージの録画も日課になりました。そしてついにJr.情報局へ入会したのでした!(この頃はまだ葉書。懐かしい!!)

 

家族へのカミングアウトは意外にあっさり。ニノのドラマが始まる時、テレビ欄の小さな記事を机に貼っておいたら母にバレました。分かりやすい行動してたんですね〜。

嬉しい事に、母はオタクに割と寛大なところがあって、飛行機の距離に住んでいる田舎の高校生でも横アリへコンサートに行くことを許可してくれました。これでジャニーズに堕ちたのでした。

 

嵐がデビューした年のGW、初めてコンサートなるものに行きました。Jr.のコンサートです。

お年玉とお小遣いでチケット代をまかない、4月から都内で大学生になった姉と一緒に2人で初めての横アリへ。今みたいにネット社会じゃなかったし、ICカードもないし、乗り換えも分からず、ましてや座席を気にするなんてことすら知らなかったから、とにかく会場へ到着するので精一杯。数分開演に間に合わなかった。最後列でした。

ところで、昔の菊名での地下鉄からJRの乗り換えは田舎者にはハードル高すぎじゃなかったですか??改札でみんな引っかかってた。しかも初めて行った時はとんでもなく遠回りして乗り換えした記憶…。

コンサートは本当に楽しかった。終演後グッズに並んでたら、中学の時の友人を見かけて腰が抜けるほど驚いた思い出。世間って狭い〜!と初めて実感したのでした。そして録画したMステや素顔のVHSを擦り切れる程見まくって、どんどん成績は下がっていくのでした。

高校入学当初は上位30%前後にはいられたのが、卒業時点では下位20%になってた…。進学先知って、みんなすごいな?いつの間に?って軽くショックだったんですよね。でも4大じゃなくてもストレートで夢だった国家資格取れてずっと働いてるし、私の業種は学歴じゃないから結果オーライ!!最短距離で最終目標達成出来たから、私には方法なんてどうでもよかったんです。

 

そして運命の嵐デビューを迎えるのでした。

長くなったので、一旦ここまで。続く!