あるジャニオタの日記

ジャニーズに人生狂わされた三十路女のひとりごと

嵐のデビュー

運命の1999年9月16日(日本時間)

めざましテレビで知った「嵐」デビュー。朝いつもはNHKのニュースなのに、その日は何故かめざましテレビ見てたんです。ニノがデビュー!?ハワイ?すごい!とりあえず、とくダネ録画予約して学校へ。

正直あんまりここ辺りの記憶がありません。覚えているのは、伝説のスケスケ衣装の初登場Mステは体育祭の打ち上げでリアタイ出来なくて帰宅してすぐ録画見て、曲が始まる前にクスクス笑い声があったことくらい?あと衣装の衝撃か。怒涛のW杯期間中は、7時過ぎにこそこそテレビ見てました。歌のところだけでも見たかったんですよね。

握手会はもちろん行ってません。

姉は行ってたけど。これで東京に進学したい!って思いが強くなったんですよね。やっぱり気軽にイベントも行けるのは田舎のオタクの憧れですから。

まだネットがそれほど普及してなくて、新人ジャニオタは雑誌の情報が全てでした。一応進学校でバイトもしてなかったから、お小遣いをやりくりして吟味した雑誌を買うのが楽しみで。写真とかテキストがお洒落だったから、買うのはほぼWUでした。CDも今みたいに複数形態発売したりしてなかったし、だからこそ私は嫌いにならずにいれるのかもしれません。

 

2000年、ミレニアム年越し。そしてファーストコンサート。

どういう訳か、電話で申し込みでした。放課後、迎えを待つ間に公衆電話から申し込みをした記憶が鮮明に残っています。家に帰るまで待てなかったんですよね。先着順だったように思うんですが、お金は郵便振込で払ったはずです。志望校の見学を兼ねて、2度目の横アリへ行きました。

この頃ようやく自分の携帯電話が貰えました。当時はメールを送るだけでも結構な値段がかかってましたね、懐かしい。

 

ファーストコンサート、映像で観すぎて実際自分がどの辺りの席だったのか全然覚えてません。でも楽しかった。多分ハートのペンライトは振ってました。

 

結局、志望校は落ちました。後期で隣県の県立大学に合格したけど、行かずに埼玉の短大に進学しました。だって隣県Mステが映らないし、民放も1つ少なかったんです!今思うとかなり不純な動機だけど、結果最短ルートで資格が取れて就職出来たしジャニオタとしては間違っていなかったなと思います。

ギリギリまで進学先が決まらなかったのもあって、バタバタとスタートした新生活。私を支えてくれたのは、「君のために僕がいる」でした。

もちろん少ないお小遣いの中でCD買ってたし、勉強の合間にどの曲もよく聴いていたけれど、歌詞が胸に刺さったのはこれが初めてでした。今でもコンサートで歌ってくれると泣きそうになるし、実際少し泣いちゃってます。

2番目の歌詞、特に「約束だよ 下を向かない 努力惜しまない」の部分が大好きなんです。ちょうど入学して、誰一人知り合いがいない環境でホームシックになってたんですよね。開園前のUSJでの初披露、その前にJr.が歌ってたのは衝撃でしたけど。嵐の新曲だせ?って。歌詞に救われ、励まされ、頑張れた。小学生からの夢を叶えられたのは、この曲があったからだと思っています。